金/Gold の歴史 金の存在意義とは
要約とまとめ
金/Gold は嘗てはおカネそのものでした。現在の通貨システムにおける金/Gold の存在意義はどうなっているのでしょうか。それを考えるうえで金/Gold の歴史を振り返ってみることは不可欠です。金/Gold の意味を考える一助にこの記事がなれば幸いです。
1500 BC
ヌビア地域で膨大に産出された金/Gold が古代エジプトを富める国にしていったのと時を一にして、金/Gold は国際貿易のための基準媒体と認識されるようになっていった。
1091 BC
中国において、小さな正方形の金/Gold がおカネとして合法化された。
560 BC
小アジア西部の古代の王国・リュディアで、高純度の金/Gold で出来た最初のコインが造幣された。
弥生時代
50 BC
古代ローマ人が金/Gold のコインを発行し始めた。
1066 AD
ノルマン征服ととももに、金属貨幣本位制が英国の地で制定され、通貨単位のポンド、シリング、ペンスが導入された。ポンドは文字通りの1ポンドの英国銀貨である。
平安時代
1284
(弘安7/鎌倉時代)
ベネチアがダカット金貨を導入した。まもなくダカット金貨は世界で最も人気のある金貨となり、500年余りそのままの姿で使われた。
英国が初めて重要な金貨・フロリンを発行した 。まもなくノーブル金貨を発行、後にはエンジェル金貨、クラウン銀貨、ギニー金貨は発行した。
1377(永和3/室町時代)
英国は、金と銀を基準とする通貨制度に移行していった。
1707(宝永4/江戸時代)
宝永4年 宝永地震、五畿七道諸国強震、東海道・南海道・に大津波、富士山宝永第噴火(宝永山誕生)
グレートブリテン王国創設 1707年連合法
江戸時代
1717 (享保2/江戸時代)
英国で、アイザック ニュートンが(造幣局長官として)金の価格を定めた。1トロイオンスの金の価格を、4.25ポンドと決めた。この金価格は定着し、200年以上続いた 。
1775(安永4/江戸時代)
アメリカ独立戦争 1775年4月
(1767年〜1786年 田沼意次政権/日本)
1776(安永5/江戸時代)
US独立宣言 1776年7月4日
1783
(天明3 /江戸時代)
アメリカ合衆国独立 1783年9月3日 パリ条約(米-英)
1801(享和元/江戸時代)
グレートブリテン及びアイルランド連合王国創設 1800年連合法 1801年
1837(天保8)
アメリカで、1ドル=純金量23.22グレイン(約1.50g) と規定
1860(万延元/江戸時代)
万延小判(一両、3.3g、金56.77%;1.87g)が発行された。 1両=1.33ドル
1861(文久元/江戸時代)
南北戦争/US 1861年〜1865年
1868(慶応3、明治元)
王政復古(日本)1868年(慶応3年)1月3日
明治元年 1868年1月25日〜
1870(明治3)
明治政府、ロンドンで起債
1871(明治4)
通貨単位を「円」とした。新貨条例。
1両⇐等価⇒1円、 1円=純金量1.5g=23.15グレイン。1ドル=1.00円
⇒貿易赤字⇒金貨大量流出⇒金貨製造減退⇒銀貨・銀兌換紙幣を流通
⇒実質的には銀本位制、銀の国際価格が下落⇒円安
1877(明治10)
西南戦争
戦費を賄うために不換紙幣を大量に発行⇒インフレ⇒円安
1878(明治11)
東京と大阪に株式取引場が開設
1894(明治27)
1ドル=約2円
日清戦争 1894年〜1895年
1897(明治30)
日本、金本位制を確立
日清戦争に勝ち、賠償などで得た3800万ポンドの金を基に金本位制を敷く
1円 =純金量0.75g、貨幣法
1ドル=2.005円 で20年間安定
1904(明治37)
日露戦争 1904年〜1905年
1912(大正元)
大正元年 1912年(7月30日)
1913(大正2)
FRBが設立された。
1GBP=4.70USD
1914(大正3)
英国 兌換性を停止
第一次世界大戦 主戦場=欧州 1914年〜1918年
日本 「大戦景気」「大正バブル」鉱山,造船,商事=花形産業 1915年〜1920年
1917(大正6)
ロシア 二月革命 十月革命
1920年代
アメリカ「永遠の繁栄」1920年代
★1921-36
欧州主要国および米国の間で通貨戦争
★ワイマール共和国(ドイツ)でハイパーインフレーションが起きた1920年代初頭から金本位制が放棄された1930年までの間、通貨戦争が激しく繰り広げられた。
1922 (大正11)
ソ連、成立 1922年
ジェノバ会議 金本位制に復帰
1923(大正12)
関東大震災 1923年
1925(大正14)
1GBP=4.87USD
英国、金本位制に復帰。第一次世界大戦が終わり英国が金本位制に復帰したとき、当局は金価格を低すぎる価格に設定してしまったために、その後破壊的なデフレーションが起きてしまった。英国の中央銀行は低い金価格を維持するためにマネーサプライを絞らなければならなかった。そのため、英国は他の世界の国に先立って不況に陥ってしまった。
1926(昭和元)
昭和元年 (12月25日) 1926年
1927(昭和2)
昭和金融恐慌 1927年
グレートブリテン及び北アイルランド連合王国創設 1927年
1929(昭和4)
Black Thursday 世界大恐慌 1929年〜
1930(昭和5)
昭和恐慌 1930年
1931(昭和6)
英国が金本位背を放棄した。
1932(昭和7)
満州国建国宣言
満州事変 1931〜33年
1933(昭和8)
フランクリン・ルーズベルト大統領が金貨、金地金、金預かり証書の所有を禁止する大統領令にサインした。米国は、市民から金貨などを没収した。また、金価格を上げることによって米ドルを減価した。1トロイオンスの金の価格を、20.67ドルから35ドルに上げた(約75%の上昇)。フランクリン・ルーズベルト大統領は、大恐慌のデフレーションを打開するためにこれを実施したが、この施策がうまくいき、1934年から1936年まで経済は力強く成長した。
⭐️金価格 $35 per ounce of gold
1939(昭和14)
9月1日 ドイツがポーランドへ侵攻 、続いてソ連軍もポーランドへ侵攻 ← 独ソ不可侵秘密条約
第二次世界大戦 1939年〜1945年
太平洋戦争 1941年〜1945年
ポツダム宣言、1945.7.26発布 , 8.14受諾 , 9.2調印・即時発効
第二次世界大戦のあと、米国は断トツで最も多い金準備を持っていた。断トツで最も多い金準備を持っていたので、米国は米ドルを基軸通貨として世界通貨システムを再構築することができた。
1940 (昭和15)
1GBP=4.03USD
1944(昭和19)
ブレトンウッズ会議
ブレトンウッズ合意は国家間に金本位制を再導入したものである。一般市民には金本位制は適用されなかった。米ドル以外の44か国の通貨はそれぞれの為替レートで米ドルにペッグ(固定)された。米ドルは、35分の1トロイオンスの金と等価であるとし固定された。米ドル以外の44か国の通貨は米ドルを介して間接的に金/Gold にペッグ(固定)された。また、米ドル札の兌換性が保証された。金/Gold は依然として世界通貨だった。でも、金/Gold そのものを世界中に流通させることはなく、金/Gold の代わりに米ドル札が世界中に流通した。
⭐️金価格 $35 per ounce of gold
《1968年までにブレトンウッズ体制は崩壊した。米国が保有する金準備を巡って取り付け騒ぎのようなことが起きた。スイスとスペインがフランスと一緒になって米ドル札を金に交換させてくれと米国に迫った。ニクソン大統領は取り付け騒ぎをなくし米国の金準備を維持するために米ドル札の兌換性を停止した。》
1GBP=4.03USD , 1AUD=1.12USD
1945(昭和20)
ブレトンウッズ会議で調印された協定によって、IMF国際通貨基金と国際復興開発銀行が設立された。
ポツダム宣言
1949(昭和24)
18 Sep. 1949 英ポンド約30%の切り下げ
1GBP=2.8USD、(1GBP=4.7USD からの切り下げ)
東京証券取引所 設立
1950(昭和25)
約 7.02 億トロイオンスの金塊が米国のFortKnoxに貯蔵された。
⭐️$35 per ounce of gold
1951(昭和26)
サンフランシスコ平和条約、日米安全保障条約(日米の密約の形で調印)
1952(昭和27)
日本、IMF加盟、国際復興開発銀行加盟
1953(昭和28)
1ドル=360円 に設定される
1960年(昭和35)
OPEC設立 9月14日
国際石油資本などから石油産出国の利益を守ることを目的として設立。
1965(昭和40)
⭐️De Gaulle仏大統領、$1.50億の外貨準備を米国に持って行き、FortKnoxから金塊を引き出す(その金塊の価値は現在約$120億)
(スペインも$6000万の外貨準備で金塊を引き出す。1970年初期までに約4.00億 トロイオンスの金塊が引き出された( $140億と引き換えに))
1967(昭和42)
英ポンド 14% 切り下げ
1969(昭和44)
米ドルの信認の低下を癒すために、IMFはSDRを創設した。
SDRは、IMFの資産に対する引出請求権で一定量の金/Gold にリンクしたものだった。初めは、「ペーパーゴールド」という呼び名がSDRに付されていた。1973年までに、SDRと金/Gold との間に元々あった一定の関係性は消え失せてしまい、SDRはIMFによって発行されるもうひとつの紙幣に過ぎなくなった。今、依然としてSDRは存在する。オブザーバーの中には、SDRは通貨バスケットによる裏付けがあると信じている者もいるようだが、それは間違いである。通貨バスケットは、 ただ単にSDRの為替レートを計算する際にお用いられるだけである。実際の通貨による裏付けは無い。
1971(昭和46)
★⭐️ニクソンショック 1971年8月15日
ニクソン大統領が驚くべきことを実施した。米ドル札の兌換性を停止した。その時から、外国政府は米ドル札を金に換えることが出来なくなった。
ⅰ. 米ドルで金塊を引き出すことを出来なくした(米ドル札の兌換性を停止)。
ⅱ. 米国が輸入に対し10%の関税を掛けるた。
ⅱ’. 貿易相手国は対抗措置として、米国の輸出に対して関税をかけた。
⬇︎
世界経済はスローダウンし、インフレが悪化した。
貿易相手国による米ドル札の金/Gold への転換をニクソン大統領が 停止した1970年、米ドルの2番目の切り下げ起きた。ニクソンはインフレを防ぎたかったが、それは叶わなかった。
金/Gold の米ドル価格は、9年足らずで 1トロイオンス$35 から $800 に、2,200%上昇した。
1977年から1981年の期間で、米国のインフレーションは50%超を記録した。この5年間で米ドルの価値は半分になった。
1971(昭和46)
スミソニアン合意 1971年12月
G10(実際には11. 米国、英国、日本、カナダ、フランス、西ドイツ、ベルギー、オランダ、イタリア、スウェーデン、スイス)の間で、米ドルの為替レートを切り下げることを合意した。通貨ペアに応じて最大17%、最少7%、米ドルの為替レートを切り下げた。
1970年代
ペトロダラー(オイルダラー)システム(The petrodollar system)が1970年代に構築されていく。
ブレトンウッズ体制からペトロダラーシステムに移行していく。
1972年から1974年にかけて、米国政府はサウジアラビアを相手に一連の合意を取り付けた。これらの合意で、米国はペトロダラーシステムの基礎を築いた。
サウジアラビアの莫大な原油埋蔵量、OPECにおける支配的な地位、また、サウジの王家は買収しやすいという理由から、米国はサウジアラビアを選んだ。
1973年(昭和48)
1973年10月6日 第四次中東戦争
第四次中東戦争の間、OPECのアラブメンバーは、米国がイスラエルを支持することに反発し、原油輸出を停止した。
第一次石油危機 1973年〜
/1974年;日本、高度経済成長終焉
(-1.2%成長, インフレ率24%)
1974(昭和49)
1974年6月12日、13日 IMF理事会
オイルファシリティ(原油価格の高騰により経常収支が悪化した国に対するIMFの特別融資制度)を設立。
「変動為替レートの管理のためのガイドライン」を適用。
通貨バスケットに基づく新しいSDR評価方法を適用。
1974年以降
貨幣は中央銀行が認めたものとなった。
実質的なデファクト米ドル本位制が1980年から2010年まで(二人のFRB議長:ポール・ボルカーとアラン・グリーンスパン、二人の財務長官:ジェイムズ・ベイカーとロバート・ルービンによって運営された期間)の間に形作られていった。
1980年代と1990年代、レーガン大統領、第41代ブッシュ大統領、クリントン大統領の期間、強い米ドル本位制の下、米国経済は力強く成長した。
2010年までに、第43代ブッシュ大統領によるアフガン侵攻の戦費とオバマ大統領の財政赤字のせいでデファクト米ドル本位制は崩れていき、通貨戦争が起こり、目下(2019年4月)の貿易戦争に至っている。
1979(昭和54)
第二次石油危機
1985(昭和60)
プラザ合意 1985年9月22日
米国、英国、西ドイツ、フランス、日本から金融当局トップが集まり、米ドルの為替レートのを切り下げを合意した。米ドルは、その後2年で30%下落した。
1987(昭和62)
ルーブル協定 1987年2月22日
米国、英国、西ドイツ、フランス、カナダ、日本から金融当局トップが集まり、米ドルの切り下げを停止することを合意した。その後数年間は、米ドルは相対的に安定した。
1989年(平成元) 天安門事件
1991年(平成3) ソ連崩壊
1999(平成11)
ユーロ実施
2010(平成22)
中国が、世界第2位の経済大国になる。日本は第3位に。
2015(平成27)
中国の外貨準備高、$ 3.7 trillion に。
中国の米国債保有高$ 1.27 trillion
最後尾
(出典)Currency Wars ( James Rickards 著 )、The Death of Money ( James Rickards 著 )、The New Case for Gold ( James Rickards 著 )、ウィキペディア、World Economic Forum