ベネズエラ経済危機、なぜここまで酷いことに:そのワケ2つ

要約とまとめ

潤沢な石油資源に恵まれたベネズエラを今の大混乱に陥れた重大な要因は2つ。1.政界・財界に国民経済のための政策を成功に導くリーダーが出てこなかったこと、2.優秀な人材が国外に流出してしまったこと、です。ベネズエラは1830年の独立以降も、軍事政権により統治された期間が長く、また、クーデターによる政変を幾度も経験し、国情が安定した期間が短く、不幸としか言いようがない歴史の上にあります。これも、国を導いていく力のあるリーダーが出てこなかったことの帰結です。

目次

・石油で得た利益は、一般国民に分配されず、政財界で山分け
・カラカス暴動
・国民に支持され選ばれたチャベス前大統領だが、お宝の石油産業を失速させた
・石油産業から優秀な人材が離脱
・マドゥロ大統領が政権に就き、生活に窮乏した一般国民の脱出が加速する
・最近のベネズエラ石油産業の醜態
・国民経済を良くしてくれるリーダーが出てこない
・ベネズエラ独立以降の歴史概略

ベネズエラは世界最多ともいわれる原油埋蔵量で知られるています。にも拘わらず、今一般市民は生活に窮乏し国外脱出を余儀なくされています。何故ここまで経済が弱くなったのか疑問に思いました。

なので、ベネズエラの歴史を振り返ってみました。

石油で得た利益は、一般国民に分配されず、政財界で山分け

ベネズエラで世界最大級の油田が見つかったのは1941年です。当時、ベネズエラは、ゴメス大統領の軍事独裁政権の統治下にありました。ゴメスは1908年にクーデターによって政権を奪取した大統領です。ゴメス政権時代(1908 – 1935)、ベネズエラは石油収入のおかげで南米の地域先進国に成り上りました。しかし、石油による利益は一般国民には行き渡ることはありませんでした。ゴメスは石油収入を国民のために使おうとせず、暴君といわれるほどの厳しすぎる統治をひたすら続けました。石油による利益は、石油会社(国際石油資本)と政治家と国で山分けする状態が続きました。

カラカス暴動

カラカス暴動は、1986年2月27日に起きた事件です。これは低所得者層による反乱でした。この暴動では、丸腰の市民に対して軍が発砲し、多くの犠牲者がでました。

1986年ということは、第一次オイルショック、第二次オイルショックの後です。ベネズエラは、2回のオイルショックによる原油価格の高騰のおかげで膨大な利益を挙げ、当時「サウジ・ベネズエラ」とも呼ばれました。

石油による膨大な利益があるはずなのにその利益が一般国民には回ってこない。貧富の格差は広がり続けている。こういう不満が溜まりに溜まっていました。また、ちょうどその頃、国の累積債務の増大が問題視されるようになり、石油輸出による利益はどこに行ったんだという市民の怒りがさらに大きくなっていきました。やがて、石油利益は政財界で山分けされ続けてきたことが明るみに出る時を迎え、怒りが爆発し、市民は暴動を起こしました。

ベネズエラで油田が発見された1941年から、カラカス暴動が起きた1986年までは、45年間です。45年間、ベネズエラの石油収入はベネズエラ国民を豊かにするためには使われなかった、ということです。

Alejandro Solo / Shutterstock

国民に支持され選ばれたチャベス前大統領だが、お宝の石油産業を失速させた

チャベス前大統領は、国を立て直すことを国民から期待されて就任しましたが、結果は全く逆で、国をダメにしてしまいました。就任早々チャベス前大統領は、基幹産業である石油産業の改革に失敗し、石油業界のビジネスマンから愛想を尽かされてしまいました。それまでベネズエラの石油産業を動かしてきた優秀な人材は、チャベス前大統領就任後10年もすると、ほとんどが祖国を後にしてしまいました。今、ベネズエラ国営石油公社が機能していないのは、この公社を運営するための人材がいないことが最大の理由です。優秀な人材がベネズエラから失われたのは石油産業に留まりません。チャベス前大統領は、大学におけるあらゆる研究費を大幅に減らし、他の国家プロジェクトに回してしまいました。ベネズエラの研究者は冷遇され、結果研究者は減っていきました。結果、時を経るにつれてあらゆる産業が時代遅れなものに落ちぶれていきました。

石油産業の改革に失敗したところをもう少し詳しく紹介します。

石油産業から優秀な人材が離脱

チャベス前大統領は、カラカソ暴動の原動力となった不満の持ち主であった貧困層の支持により1999年に大統領に選ばれました。

貧困層のための無料診療制度を整備したり、農地改革を行ったり、支持者である弱者にはとても嬉しい制度を導入しました。

一方、富裕層や中産階級からは不人気でした。不人気になるだけならまだましだったのですが、チャベス前大統領はベネズエラ唯一の基幹産業である石油産業をダメにしてしまいました。

チャベス前大統領は就任後、政財界による石油利益の山分けを止めさせるために、ベネズエラ国営石油公社の改革に乗り出しました。しかし、その手法がまずかったのです。

チャベス前大統領はベネズエラ国営石油公社の経営に介入し、社長を交代させたのですが、石油業界でのビジネスを経験したことのない大学教授を社長にしたのです。

これに対してはさすがに幹部達は黙っていられず、ストライキまでして猛抗議を繰り広げました。ベネズエラ国営石油公社の幹部によるストライキは凄い威力があり、ベネズエラの国家機能を麻痺させました。

これに対してチャベス前大統領は、なんとベネズエラ国営石油公社を動かしていた有能な社員約22,000人を、ストライキをしたことを理由に解雇してしまいました。これがチャベス前大統領が国をダメにする最初の一歩でした。

マドゥロ大統領が政権に就き、生活に窮乏した一般国民の脱出が加速する

2013年、マドゥロが大統領に就任したが、2015年には政治的迫害などを理由にアメリカへの亡命を申請する市民は多く出始めた。その後、経済危機によって祖国を後にする数は急増しました。国連によると、2018年までに300万人超が国外に逃れました。これはベネズエラ国民の約1割に当たります。

最近のベネズエラ石油産業の醜態

ベネズエラ国営石油公社の総裁には2017年11月から軍人のクエベド将軍が就いています。クエベド将軍は石油産業でのビジネス経験は持っていません。腐敗防止を目的として経営陣を入れ替えてしまったことに対する不満が溜まっていて、抗議や離職が増え、企業運営に支障が出ています。稼働率は2017年末で15%という低さです。

石油サービス会社への支払いが15億ドル以上滞っています。結果、石油サービス会社は業務提供を控え、稼働リグの数は落ち込んでいます。

国民経済を良くしてくれるリーダーが出てこない

ベネズエラで油田が発見された1914年以降の政治的経緯を紹介します。

ベネズエラの油田はゴメス政権時に発見されました。ゴメス政権は、1908年に軍事クーデターによって成立した軍事独裁政権でした。ゴメスの統治は非常に厳しいもので、ゴメスが「アンデスの暴君」と呼ばれるほどでした。

ゴメスの死後、政権はゴメス派がそのまま引き継ぎましたが、厳しすぎる統治によって生じた強い反発が爆発し、1945年、民主行動党という政党と青年将校が軍事クーデターを起こし、これによって軍事独裁政権は崩壊しました。

軍事独裁政権の崩壊によって、ベネズエラに新しい時代がやってきそうです。

ここで民主行動党の創設者、ベタンクールが大統領になりました。1947年に新憲法が出来て、1948年に選挙をして、新しい大統領にガジェーゴスが就任しました。しかし、この方は、知名度もあり、人気もあって当選したのですが、国民的文学者だったのです。作家さんです。

おそらく国家運営能力に欠けていたのでしょう。同年1948年に、ゴメス派軍事政権を倒したのと同じ青年将校グループが起こした軍事クーデターによってガジェーゴス政権は消えてなくなりました。

軍事政権打倒から3年たちましたが、石油収入の分配は変わらず、国民経済は一向に良くなりません。

1952年、結局、軍事独裁政権になってしまいました。統治したのは、青年将校の一人だったヒメネスでした。政治家のなかに任せられる人がいなかったことが窺えます。

ヒメネス将軍の時代には、石油価格の高騰のおかげで石油バブル生じ、西半球で経済的に最も繁栄する国とまで言われるようになりましたが、石油による利益は国民経済全体には行き渡りませんでした。

1958年、ヒメネス将軍は、石油バブル崩壊後の債務危機で失脚しました。

強力な独裁者がいなくなると新しい民主体制へ変わったのですが、政界はこんなことをしました。

主要3党が国民には内緒で協定を結びました。それは、左翼勢力を排除しましょう、それから、政府ポストは3党で割り振りましょう、というものでした。これは言い方を変えると、米ソ冷戦の時代にベネズエラは資本主義経済で行きましょう、美味しいところは3党で分け合いましょう、ということです。

この体制の中、1959年にベタンクールが再び大統領に選ばれました。資本主義経済で行くことを決めた影響で、ベタンクールは左翼ゲリラとの闘いを余儀なくされました。1964年の任期満了までに左翼ゲリラを制することはできませんでした。

1969年、カルデラが大統領に就任しました。カルデラは左翼ゲリラへ恩赦を与えることを公約に掲げて選ばれました。その後、反乱は治まりました。

1974年、ペルス政権が成立しました。ペレス政権時、2回のオイルショックによる原油価格高騰で、ベネズエラは膨大な石油輸出利益を得ました。

1989年、カラカソ暴動が起きました。

1992年、チャベスがクーデターを起こしましたが、失敗し、投獄されました。チャベスがクーデター未遂を起こした理由は、カラカソ暴動において、軍の発砲によって市民が大勢犠牲になったことにショックを受けたことでした。

1993年、ペレス大統領は自らの不正蓄財が明らかになり、辞任しました。

1993年、カルデラが再び大統領に就任しました。カルデラは、貧困層と中間層にへの対策を打ち出しましたが、失敗しました。

1999年、チャベスが大統領に就任しました。ベネズエラ国営石油公社の改革に失敗し、基幹産業である石油産業が弱体化する結果を招きました。

2006年、チャベス前大統領は、国際石油資本とベネズエラ国営石油公社の合弁で採掘している国内油田についてはベネズエラ国営石油公社がその権益の60%を所有することにすると宣言しました。これによってエクソンモービルなどの国際石油資本はベネズエラから撤退しました。

2013年、チャベスは病死し、マドゥロが大統領に就任しました。

2015年、政治的迫害などを理由とした米国への亡命申請が急増しました。その後、経済危機による国外への脱出が急増しました。

2018年、任期満了に伴う大統領選が実施されました。現職マドゥロ大統領が勝利宣言しまたが、国民議会議長のグアイドが選挙の無効を主張し、自身が暫定大統領に就任したを宣言しました。米国をはじめ西側諸国の多くとブラジル、コロンビア、アルゼンチン、チリ、ペルー、エクアドル、パナマ、コスタリカ、ホンジュラス、グアテマラなどの中南米諸国は暫定大統領グアイドを承認、一方反米色の強い中国、ロシア、南アフリカ、イラン、トルコなどと中南米のキューバ、ニカラグア、ボリビア、ウルグアイ、スリナムなどはマドゥロ大統領を承認しました。

そして今に至ります。

ベネズエラ独立以降の政変(概略)

1830年 独立。商業資本家が支持する保守党政権。

1958年 3月革命。保守党と自由党(大土地所有者が支持者)が対立。
          保守党は、中央集権を強化
           vs.
          自由党は、連邦制への移行を主張

1859年~1863年 内戦。終戦後、自由党政権(連邦主義) ~ 失政。

1870年 政権交代。グスマン率いる独裁政権に。鉄道建設、コーヒー栽培促進。

1888年 グスマンのパリ外遊中にクーデター。グスマン退陣。再び不安定化。

1899年 カストロ率いる独裁政権。

1908年 カストロの懐刀だったゴメスがクーデター。ゴメス将軍の独裁政権。

1914年 油田が発見される。

1935年 ゴメス将軍、死去。 ゴメス派の軍人により軍事政権がつづく。

1945年 クーデター(青年将校と民主行動党)。 軍事政権は崩壊。
     ベタンクール大統領就任(民主行動党の創始者)

1947年 新憲法。

1948年 選挙によって新大統領選出。ガジェーゴス大統領就任。
 同年 クーデター(1945年民主行動党と共にクーデターを起こした青年将校)。

1952年 ヒメネス率いる軍事独裁政権(青年将校のひとり)。

1958年 債務危機(石油バブル崩壊)で失脚。
     主要3党の協定(密約)
     [協定の目的:左翼勢力の排除、3党による政府ポスト持ち回り]

1959年 ベタンクール大統領(民主行動党)再就任。
     冷戦の最中、資本主義経済を選択。
           左翼ゲリラとの戦い ⇒ 鎮圧出来ず。

1969年 カルデラ新大統領(キリスト教社会党)。
     左翼ゲリラに恩赦。反乱は治まる。

1974年 ペレス新大統領。(民主行動党)
     オイルショックで石油価格高騰、ベネズエラ大いに潤う。
     「サウジ・ベネズエラ」と呼ばれることも。

1976年 ベネズエラ国営石油公社設立。

1989年 カラカス暴動。

1992年 クーデター未遂(チャベス前大統領が率いた) ⇒ チャベス投獄される。

1993年 ペレス大統領が不正蓄財を問われ辞任。
    カルデラ(キリスト教社会党) が大統領に再就任。
       ⇒ 貧困層中間層対策失敗。

1999年 チャベス新大統領就任。選挙で勝利。
    貧困層重視。
    ⇒ 富裕層、中産階級、労働組合(以前の有力政党) から強い反発

2002年 大規模ストライキ
     ⇒ チャベス、軍に非常措置を講じるよう命令
      ⇒ 軍部は反対。
     米国CIA支援の軍事クーデター、3日間で失敗。

2013年 チャベス病死。 マドゥロ大統領就任。

2018年 大統領選。マドゥロ再選。グアイド、不正選挙と主張。
     グアイド、暫定大統領就任を宣言。
     選挙後もマドゥロとグアイドの政権争いが続く。

(出典)ウィキペディア/ベネズエラ、 ニューズウィーク日本版/ベネズエラ最大の輸出品は「人材」2009年7月6日、 石油・天然ガス資源情報・JOGMEC/ベネズエラ:石油産業をめぐる最近の状況2018年2月23日

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